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精神分析に関するsakstyleのブックマーク (7)

  • 自由エネルギー原理とラカン理論を(マルクスを介して)比較する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    そのうち自由エネルギー原理(または予測処理理論)について自分で説明したいとは思っていた。前々から、自由エネルギー原理とラカンの三界論(象徴界・想像界・現実界)には共通点があることには気づいていたので、それをテコにして説明しようと色々と調べてはいた。もはやこれで説明になるのか?よく分からなくなってきたが、とりあえず記事にはしてみた 自由エネルギー原理とラカン理論を比べてみる この記事を書く準備として、自由エネルギー原理とラカン理論について調べていたら、次のような論文に当たった John Dall’Aglio 「Sex And Prediction Error, Part 2 : Jouissance and The Free ENERGY PRINCIPLE IN NEUROPSYCHOANALYSIS」 まず、この論文にある自由エネルギー原理についての説明が簡潔なので、それを翻訳引用してみ

    自由エネルギー原理とラカン理論を(マルクスを介して)比較する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    sakstyle
    sakstyle 2022/02/03
    自由エネルギー原理とラカンの三界理論の類似と差異。2つの違いは科学かどうか。自由エネルギー原理にも説明できない現象があり、その点を科学に譲る必要はないのかも、という
  • ■[映画]「ナンバー23」を見たゼ! - 空中キャンプ

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    sakstyle 2007/11/25
    「過剰な物語性への希求」妄想患者の印象について、異様に論理的である
  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 3 ラカン派精神分析のパラダイム

    【講演レポート1】、 【講演レポート2】、 【講演レポート4】 ラカン派精神分析のパラダイム 精神分析にはさまざまな理論があり、非常に多様。 フロイトとラカン以外にも、ユング、アドラー、フェレンツィ、ウィニコット、コフート、クライン、カーンバーグ、などなど。 とりわけ「自我心理学 Ego psychology」というアメリカの精神分析一派が、最近「脳」との関連に非常に熱心になっているが、今日の私(斎藤)の話は、そうしたものとはかけ離れている。 最近の精神分析の主流は、脳科学や生物学的精神医学との接近をひとつの特徴としている。 それは状況上避けられないことだったのかもしれないが、フロイト・ラカンとはかけ離れてしまった。 「フロイト=ラカン」という言い方をするのは、ラカンという精神分析家は、「自分こそが、フロイトの創始した精神分析のもっとも正統的な後継者だ」と主張したから。(そのことは、ラカン

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 3 ラカン派精神分析のパラダイム
  • Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1

    斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 日時: 3月6日(火) 14:00−16:00 場所: ユメンヌホール(大阪大学人間科学部東館 2階 207講義室) 概要: 脳科学ブームの昨今、脳で人間の心や社会が説明できるかのような言説がまかり通っている。 しかし実際には、現時点での脳科学は、人間の心や行動を整合的に説明できる学問たりえてはいない。 精神医学者アンリ・エイは、脳の障害と精神症状との間にギャップがあることをふまえて「器質−臨床的隔たり」と呼んだ。 この指摘はいまこそ有用である。 「階層性−非階層性」をキーワードとして、脳科学による心の解明において、設定されるべき限界について述べる。 聴講してきました。 同講演に参加されていた、谷川茂氏(双風社): 「斎藤環さんのセミナーにいってきました」 以下、音声ファイルや配布されたレジュメなどを元に、大まかな記録をアップします。

    Freezing Point -  斎藤環 「脳はなぜ心を記述できないか」 講演レポート 1
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    sakstyle 2007/03/20
    OSとPSにわけて考える。クオリア=PS側からのOSのメタ認知。PS(言語)にはクオリアが生じない
  • 文庫化キタコレ。 - 荻上式BLOG

    ◆フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター〈上〉』 ◆フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター〈下〉』

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    sakstyle 2007/01/12
    フリードリヒ・キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』¥1,365 (税込)×2
  • なぜネットはこれほど短期間で増殖しえたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    現実界の二通りの意味 エディソンのフォノグラフ(蓄音機)がその溝に刻んでいたのはこの振動数以外のものではなかった。それにたいして音階や和音は、比率、つまり整数にたいする分数のことをいう。・・・十九世紀になってはじめて登場してきた周波数という概念は、・・・長さの比率のかわりに時間が独立変数となっている。それは音楽のメトロノームやリズムとなんの関係もない純粋に物理的な時間であり、人間の眼ではとうていとらえられない速度の動き、すなわち一秒あたり二十から一万六千という振動を数量化した時間なのである。つまりサンボリックなもの(象徴界)にかわってリアルなもの(現実界)がそこでは登場してきているのだ。 「グラモフォン・フィルム・タイプライター」 フリードリッヒ・キットラー P67 (ASIN:4480090347) 現実界のとらえ方には二通りあって、一つはカントの「ものそのもの」で、人の認識の外という意

    なぜネットはこれほど短期間で増殖しえたのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    sakstyle
    sakstyle 2006/12/09
    数量化とその残余/キットラーとジジェクの差異/科学技術という症候(サントーム)
  • なぜ世界は数学で記述できるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    数量化の限界 「アキレスと亀パラドクス」*1が示すのは距離を分割することの限界です。たとえば椅子に座る私がベッドに向かうときに、その空間を無限に分割可能ならば、同様に私はベッドへ到着できません。距離が量的に分割可能なら、無限回分割することも可能であり、いつまでもその中に空間に閉じ込められてしまいます。 簡単には質を量に還元することの矛盾がここに表れていると言えます。分割とは同一性の反復であり、数量化というあくまで一つの不完全な認識方法であるということです。 では数量化は単なる人間の作りだした認識方法であり、「ものそのもの」とは対応していないのか。このようなパラドクスに反して、「なぜ世界は数学で記述できるのか」、という疑問があります。 反復可能性という力 ボクは数量化による客観化の力を、情報を縮減する力といいました。それによって高速伝達され、共有され、反復され、体系化され、客観化される。 数

    なぜ世界は数学で記述できるのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    sakstyle
    sakstyle 2006/12/09
    数量化は「物自体」と近似的なコミュニケイトが可能
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