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渡邉大輔に関するsakstyleのブックマーク (12)

  • WEKO - 立教大学学術リポジトリ

  • 『劇場版アイドリッシュセブン』から“推し”文化を考える ライブアニメが持つ演劇性

    『劇場版アイナナ』から「推し」について改めて考える ここ10年ほどの間、ポップカルチャーに関する批評や教育に携わっていると、いわゆる「推し(活)」について考えを巡らさないわけにはいかない。 もはや説明するまでもないだろうが、「推し」とは自分が応援したい対象を指す言葉である。また、そうした「推し」を応援することが「推す」という行為である。もともとはAKB48などのアイドルグループのファンがお気に入りのメンバーを呼ぶために使っていた「推しメン」(推しメンバー)という言葉に由来する。しかしその後、2010年代を通じて、より一般的な文脈にも広がっていった。その言葉の持つ意義は2020年代以降も変わらず、いまや現代人の感性や文化表現、行動様式を象徴するキーワードとして、さまざまな場面で注目を集めている。宇佐見りんの芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』(2020年)や平尾アウリのマンガ『推しが武道館いってくれた

    『劇場版アイドリッシュセブン』から“推し”文化を考える ライブアニメが持つ演劇性
  • 限界研、新刊『ポストヒューマニティーズ』よみどころ紹介(6/10)渡邉大輔「SF的想像力と映画の未来――SF・映画・テクノロジー」 - 限界研blog

    ポストヒューマニティーズ――伊藤計劃以後のSF 作者: 飯田一史,海老原豊,岡和田晃,小森健太朗,シノハラユウキ,蔓葉信博,藤井義允,藤田直哉,山川賢一,渡邉大輔,限界研出版社/メーカー: 南雲堂発売日: 2013/07/25メディア: 単行この商品を含むブログ (39件) を見る かつて蓮實重彦はこういった。「SF映画は存在しない」と。 未来を語るはずのSFは、小説という形式に落としこまれると「過去時制」によって語られ、映画という形式を用いると、今度は「現在進行形」として表現される。それゆえに「SF映画は存在しない」のだと、蓮実はいう。 渡邉は、この蓮実重彦の「SF映画批判」を批判する。 蓮実がSF映画はその形式によって内容が空洞化してしまうのだといったことに対して、渡邉はこの形式こそが、映画という表象メディアのなかで「SF的イメージ」を豊かにしてきたのだと主張する。そしてこの形式は、

    限界研、新刊『ポストヒューマニティーズ』よみどころ紹介(6/10)渡邉大輔「SF的想像力と映画の未来――SF・映画・テクノロジー」 - 限界研blog
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    sakstyle 2013/07/24
    イメ進読んだ人にも読んでない人にもおすすめ
  • 『イメージの進行形』刊行記念選書フェア「の知――2010年代の「映画」を考えるための35冊」開催@リブロ池袋本店1階 - daisukewatanabe1982’s diary

    渡邉大輔です。 先日の佐々木敦さんとのトークセッション@東京堂書店には、多数の方々のご来場を戴き、満員御礼でした。たいへんありがとうございました! トークセッションに続き、また拙著関連の催しのお知らせです。 日、4月17日(水)から、リブロ池袋店さま1階の「カルトグラフィア」コーナーにて、拙著『イメージの進行形』(人文書院)の刊行を記念し、選書フェアを開催して戴きます。題して、「<映像圏>の知――2010年代の「映画」を考えるための35冊」。 開催時期は、少なくとも1ヶ月間(5月17日頃)までとのこと。 すでにあちこちのインタビューなどで喋っていますが、拙著の目論見のひとつは、(これはマジで)映画批評を「人文書」の枠組みで受容できるようにすることでした。いまや映画批評や映像論は、専門家や一部のシネフィルだけが読むニッチな言葉になっている。そこには、「批評」の名に値する真に「知的」な包

    『イメージの進行形』刊行記念選書フェア「の知――2010年代の「映画」を考えるための35冊」開催@リブロ池袋本店1階 - daisukewatanabe1982’s diary
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    sakstyle 2013/04/29
    ブックガイド
  • 映像圏の射程――渡邉大輔『イメージの進行形』から東京デスロック『東京ノート』へ【評者:海老原豊】 - 限界研blog

    ●映像圏の射程 渡邉大輔が『イメージの進行形』で提示した概念・映像圏は、情報環境の変化によってイメージが社会に氾濫した状態をさす。主たる分析は映画である。それまで比喩的にも字義的にも固定されていた観客、監督(作者)という役割、それらを直線的に媒介すると考えられていた物語=映画が、イメージの例外状態によって輪郭を失い、絶えず自己参照しつつ増殖していく。作品はそれだけでは完結できず、観客の身体をコミュニケーションをフックにして作品の一部として取り込み、再提示する。それまで不・可視化されていた観客の身体は、過・可視化される。例えばYouTubeやニコニコ動画にあふれる「踊ってみた」動画といった形で。 渡邉は、現代の映像文化、映像的なものの全社会的な浸潤を共時的に切り取って提示しているが、それと同時に映画歴史をひもときながら通時的な視点も取り入れている。なかでも興味深いのが、初期映画時代の映画

    映像圏の射程――渡邉大輔『イメージの進行形』から東京デスロック『東京ノート』へ【評者:海老原豊】 - 限界研blog
  • ?「微分」?『イメージの進行形』読書メモ - フシギにステキな素早いヤバさ

    最近ブログの更新頻度が多いのは、単にはてなブックマークの上位互換としてつかおうと思ったためだった。ところが、書く時間がけっこうかかっているので、これを縮減して負担を減らしたいところ。 さて、渡邉大輔さんの『イメージの進行形』を読んでいるが、ここまでで引っかかったキーワードがある。「微分」ということばだ。試しに「映画 微分」ということばで検索しても、それらしいタームは出てこないし、「映画 微分化」ということばでは、渡邉さんの下記文章がヒットするにすぎない。 【特別寄稿】映画のデジタル化について――『サイド・バイ・サイド』から考える text 渡邉大輔 - neoneo web とはいえ、Twitter上で仲山ひふみさんから、おそらくドゥルーズの用語を援用しているのだろうという指摘があった。ジル・ドゥルーズ - Wikipediaを見る限り、確かにドゥルーズが数学の微分の概念を哲学に転用し、差

    ?「微分」?『イメージの進行形』読書メモ - フシギにステキな素早いヤバさ
  • 『イメージの進行形』読書メモ/AKIBANOISE1.0〜ふぁっしょん展〜/DID - フシギにステキな素早いヤバさ

    渡邉大輔さんの『イメージの進行形』についてかんたんにメモ。 (するつもりだったが。) 概要は下記のが好き!Bookニュースで紹介されていた。 http://www.honzuki.jp/news/imagenology/ 書は、おそらく今年いろんな場所で取り上げられたり引用されるような、教養的なになりそうな気がする。そのため、教養として読んでおきたいと思う次第。 DID そもそも、このが出るということについては、DIDというサイトの方からかねがね伺っていたような気がする。 DIDは、「ドウガネットレーベル」を自称しており、実際に動画をリリースしたり、Togetter的に「ドゥギャ」と名付けて動画文化に関するTwitterのまとめを作ったりしている集団だ。 http://didouga.net イベントの際には、DIDについて渡邉さんが寄せた文章が載ったペーパーを配布していたり、また

  • 動画付き紹介:映画史からSNS、そして政治へ『イメージの進行形』 | 本が好き!Bookニュース

    2012.12.27 posted by honzuki / Category: 新刊情報 / Tags: SF, マンガ, 映画・アニメ 世の中には、iPhoneやパソコンで観る動画があり、テレビやレンタルDVDの映像があるのに、何故か「映画館で観る映画」だけが特権的に語られてきた。ちょっとでも映画論のようなを手にとったことがある読者は誰でも「映画館で観る映画」だけが偉いの?と疑問を持ったことがある筈だ。 「映画館で観る映画」がどれだけ偉いのかという問いはさておくとしても、それ以外のあらゆる「映像」について語る言葉が長い間待ち望まれてきた。今回紹介する渡邉大輔『イメージの進行形 ソーシャル時代の映画と映像文化』は、スマートフォンや携帯ゲーム機、YouTubeやニコニコ動画と、ショッピングモールのシネコンが一般化した状況での映画体験とを、同じ地平で語ることを目論む意欲的な論集。生硬な語り

    動画付き紹介:映画史からSNS、そして政治へ『イメージの進行形』 | 本が好き!Bookニュース
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    sakstyle 2012/12/27
    「かつて攻殻機動隊の主人公の草薙素子は「ネットの海は広大だわ」と言った。いわば「映像圏の海」はそれ以上に広大である」ナガタさんレビュー早い!
  • 早稲田文学編集室 - WB/早稲田文学

    ソーシャル・メディアは映画をいかに変え、どんな未来を可能にするか? Twitterやfacebookで知った動画をYouTubeで観る。 ニコニコ動画で話題のn次創作の元になった作品を観る。 お気に入りのアイドルや歌手のUSTライブを観ながら書き込みをする。 今、映画と呼ばれるものの外で、私たちは無数の映像に触れています。いわ  ゆる映画にしても、トレーラーをネットで観て、関連動画を漁り、評判を調べてから観に行くことが多いでしょう。 「ディジタル化とネットワーク化は映画を変える」――時に映画史に到来した「新たな革命」とも呼ばれ、誰もが期待し、憂慮しもする、そんな予感。それは、作品をたくさん保存でき、好きな時間と場所で視聴でき、作品について語れる人を見つけやすくなって、便利さを増すことだけを指すわけではありません。それは映画の見方、流通の仕方、作られ方を変えること、つまり「映画」そのものを変

    sakstyle
    sakstyle 2012/03/07
    『イメージの進行形――映像環境はどこに向かうか――』
  • 連載「イメージの進行形」最終回〔後篇〕@Wasebun on Web…というわけで、連載完結しました! - daisukewatanabe1982’s diary

    渡邉大輔です。 タイトル通り、早稲田文学ウェブサイトの連載「イメージの進行形――映像環境はどこに向かうか」の最終回・後篇(笑)が更新されました。 ・連載「イメージの進行形/第6回 映像圏の「公共性」へ――「災後」社会の映画/映像論」〔中篇〕(Wasebun on Web)⇒早稲田文学編集室 - WB/早稲田文学 というわけで、2010年7月から、実に1年7ヶ月にわたって、僕の中心的な仕事として続けてきた連載が、ようやく終わりました。批評家として、28歳から30歳までの足掛け3年、ずっとひとつの仕事を続けてきたわけで、これには自分でも驚いています。 これまで、読んでいただいた読者の方々には改めて深く御礼を申し上げたいと思います。 そして、読みにくい連載で申し訳ありませんでしたw 連載完結にあたって、もっといろいろと書きたいことはあるのですが、いまいろいろ立て込んでいるため、余裕があるときに、

    連載「イメージの進行形」最終回〔後篇〕@Wasebun on Web…というわけで、連載完結しました! - daisukewatanabe1982’s diary
    sakstyle
    sakstyle 2012/02/22
    完結お疲れ様です
  • 渡邉大輔「女優をめぐる游歩――『批評』と『情報』のmargeに」 - ビジスタニュース

    渡邉大輔「女優をめぐる游歩――『批評』と『情報』のmargeに」 2011年02月14日16:00 担当者より:映画研究者・批評家として、『ゼロ年代プラスの映画』(河出書房新社)や『サブカルチャー戦争』(南雲堂)などでご活躍の渡邉大輔さんによる「女優」についてのエッセイです。 更新日:2011/02/14 暗闇のなかで一条の光を受けとめるようにして広がる目の前のまっしろいスクリーン、あるいは近所のレンタルショップで借りてきた新作や旧作のDVDからディジタル・テレビやPCのインターフェイスをとおしてそばだつそのすがたかたちをぼくたちはいつも不意に認知する。そして、物語の筋には回収されないかのじょたちの姿態や声におぼつかなげにむきあう。魅惑とともに。「女優」との出遭いは、いつもそうやってはじまる。 以前、twitterで「現代の女優」に就てなにか書きたい、となにげなくつぶやいた。しばらく

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    sakstyle 2011/02/14
    「女優に就て書こうとして、ことばはただ游歩し、目のまえになげだされる。それらはとうとう批評にはならない。ことばにもならない。」/麻生久美子・女優=幽霊
  • 『ミステリ・映画・戦争――『サブカルチャー戦争』の余白に』

    ミステリ・映画戦争――『サブカルチャー戦争』の余白に 渡邉大輔 私たち限界小説研究会は、来月、3冊目となる批評論集『サブカルチャー戦争 「セカイ系」から「世界内戦」へ』(南雲堂)を刊行する。今回の評論集で私たちは、「戦争」をひとつのキーコンセプトにして、さまざまなサブカルチャー分野(小説、SF、映画漫画、アニメ……)の表象に見られるその文化史的・精神史的な変容を跡づけた。今回のエッセイは、その論集にも通じる形で、研究会の活動とも深い関わりの深い「(格)ミステリ」と、私の最近の活動分野である「映画」との関係について簡単に記してみたい。 例えば、<メフィスト系>や<ファウスト系>などと呼ばれる新しいタイプの作家が台頭した二〇〇〇年代を経て、現代ミステリは、いうまでもなく、いま、かつてない流動化と多様化を深めている。この研究会が現在、ミステリ専門誌『ジャーロ』(光文社)で連載している評論

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