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マンガと美学に関するsakstyleのブックマーク (6)

  • Henry John Pratt「マンガにおける物語」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    マンガにおける物語について、文字、絵、コマから分析している。それほど新しいことを言っているわけでもないが、まとまっている。 時間が経過するコマ継起と時間が経過しないコマ継起があるというのは、前に書いた前景/背景の話とも関連しそうなので、文章の場合と比較するとおもしろいかもしれない。 http://philpapers.org/rec/PRANIC Pratt, Henry John (2009). Narrative in Comics. Journal of Aesthetics and Art Criticism 67 (1):107-117. 1. 序 2. 文芸的次元 3. 図像的次元 4. マンガ独自の物語 マンガにおける文字の要素 吹き出しのセリフ モノローグ、ナレーション 音喩(ドッカーンみたいな) 看板などの文字 看板などの文字以外はキャラクターからは見えない。 文字はコマ

    Henry John Pratt「マンガにおける物語」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
  • 「女装っ子」表現から読み解くキャラクター作画 - ピアノ・ファイア

    先日、Twitterでこんな論文が紹介されていました。 図像的フィクショナルキャラクターの問題(高田敦史) 応用哲学会行ってないけど、akadaさんの原稿を読んだ! これすごく面白い!>RT— シノハラユウキ (@sakstyle) 2014, 5月 10 マンガなどに描かれているキャラクター(この原稿では「ひだまりスケッチ」のゆのが例に出てくる)について、「かわいい」という時、目が大きいとか鼻が小さいとかいった絵のデフォルメからそう判断しているだろうが、それでキャラクターそのものがかわいいと言えるのか、と— シノハラユウキ (@sakstyle) 2014, 5月 10 高田論文は最後、補足的に、分量としては短いけれど、伊藤剛「キャラ」概念との接続も行っている。高田のいう「分離された内容」と「キャラ」というのが、近いかもしれない、と— シノハラユウキ (@sakstyle) 2014,

    「女装っ子」表現から読み解くキャラクター作画 - ピアノ・ファイア
    sakstyle
    sakstyle 2014/05/21
    伊藤剛の「女装っ娘」論。図像レベルで女の子のしか見えない表現と、図像レベルでは男とわかる表現。読者に見えている姿と作品世界内で見えている姿の差異。
  • Aaron Meskin, Roy T. Cook, Warren Ellis『マンガのアート: 哲学的アプローチ』その2 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics) 9章 Roy T. Cook「なぜコミックは映画ではないのか: メタコミックとメディア特有の慣習」を読んだ。 http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/9781444354843.ch9/summary 「マンガを順次スクリーンに映していけば映画になる。だからマンガの美学はいらなくて映画の美学があればいいんだ」という議論に反論しつつ、マンガ固有の問題を考えてみましょうという論文。当はもう少し細かい議論だけど。 最初の反論は、マンガのコマってそもそもシーケンシャルじゃないよねというもの。マンガのコマは平面有向グラフだと言いつつ有向グラフの定義がはじまる(マスハラ)。 (著者はマンガの美学もやってるけ

    Aaron Meskin, Roy T. Cook, Warren Ellis『マンガのアート: 哲学的アプローチ』その2 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    sakstyle
    sakstyle 2014/03/17
    マンガと映画の違いについて(1)コマがシーケンシャルじゃない(有向グラフらしい(マスハラ))(2)メタコミック(メタフィクション表現)。
  • Aaron Meskin, Roy T. Cook, Warren Ellis『マンガのアート: 哲学的アプローチ』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    The Art of Comics: A Philosophical Approach (New Directions in Aesthetics) マンガ[comic]の哲学のアンソロジー。少し前から断片的に読んでいる。マンガの哲学と言っても、多くの人にとってはそんなものあるのかという感じだろうが、現在はだいたいどのアートジャンルについても哲学的(美学的)研究がある。ただマンガの哲学は、まだ相当手さぐり感が強い。 完全に余談だが、英語のマンガ研究でおもしろいのはスコット・マクラウドというマンガ家がマンガで描いたマンガ論Understanding Comicsで、マンガの哲学研究でもよくこれが参照される(日のマンガ論でもよく参照されている)。これは当におもしろいが、邦訳は残念ながら品切れ(私も持っていない)。これに匹敵するような哲学者のマンガ研究があるかは知らない。 マンガ学―マンガに

    Aaron Meskin, Roy T. Cook, Warren Ellis『マンガのアート: 哲学的アプローチ』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    sakstyle
    sakstyle 2014/03/14
    “グレゴリー・カリーが「映画の言語」ってよく言われてるけど、映画に言語なんてないという批判をしているらしく、”
  • 次回の分析美学勉強会はPratt(2012)”Categories and Comparisons of - 昆虫亀

    次回の分析美学勉強会はPratt(2012)"Categories and Comparisons of Artworks" in British Journal of Aestheticsを読みます。 3月6日(火)20時より、@東大郷美学芸術学研究室です。 われわれは芸術作品をカテゴリーにわけて、価値を比較しているけど、それっていったい何やってんの?って論文ですね。 Prattってひとは、マンガの美学とか物語論について研究してたひとだと思ってたのですが、最近、こういう比較芸術みたいな方面に興味がでてきたのかもしれない。 というか、このひと2005年にComparing Artworksというタイトルで博論出してた。むしろこっちのほうが専門のひとなのですね。 もうすぐ出るこのにも、「マンガの映画化」で一論文書いてます。 大学のページみたところ、なかなかおちゃめな人のようです。 ht

    次回の分析美学勉強会はPratt(2012)”Categories and Comparisons of - 昆虫亀
  • トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」用メモ - shinichiroinaba's blog

    昨日24日の「現代経済思想研究会・特別セミナー 稲葉振一郎・田中秀臣・山形浩生・トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」」は盛会のうちに無事終了いたしました。お越しくださった皆様、ありがとうございました。 当日のレポはtwitterをもとに前田敦司さんがこちらにおまとめになっていらっしゃいます。また田中さんの感想兼問題提起はこちらです。 いかにペーストするのはぼくが事前に自分用に作った覚え書きです。私的メモですからいい加減です。読み上げ原稿ではありません。実際の会ではここでの論点の半分くらいしか出せていません。 ===================================== 山形浩生の芸術論を少し敷衍してみよう。 山形によれば、芸術の主たる機能は、人間の認知能力の「別の使い方」を開示・例示してみせるところにある(「アート・カウンターパンチ」)。 ここで

    トークイベント「SFは僕たちの社会の見方にどう影響しただろうか?」用メモ - shinichiroinaba's blog
    sakstyle
    sakstyle 2011/12/26
    優れた芸術作品とはどういうものか(全体-部分、新たな地平を切り拓く)。田中秀臣がグルンステンをひきながら伊藤剛のコマの不確定性について批判しているものを全体論から読み解きつつ。
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