歌舞伎町にて。初日。すごくおもしろかった。「光と影」というテーマが、何層にも重なりあいながらストーリー全体をつらぬき、複雑で広がりのある世界観になっていた。この映画は、見直すたびに発見がありそうな気がするし、いろいろな解釈ができそうにおもえる。バットマンシリーズの最新作。 映画の中で用いられる数々のメタファーが、最終的にはすべて「光と影」という共通のテーマにおいて回収されていくのがすばらしい。Dark Knight(闇の騎士)であるバットマンと、White Knight(光の騎士)である新市長。頻出するコイントスのシークエンス(Heads or Tails?)。すべてを裏で操っているジョーカーの存在は影そのものだ。バットマンとジョーカーの対比もとうぜん、光と影であり、また新市長のかつての古いあだなが ”Two Faces” であった点も見逃せない──これは後半においてもっとも重要なポイント
読書, めも以下めもゲーデル 不完全性定理 (岩波文庫)作者: ゲーデル, 林晋, 八杉満利子出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2006/09メディア: 文庫岩波文庫にしては珍しく、解説豊かで分かりやすい(というか分かりやすすぎの)良書。本書の構成は、ゲーデルの不完全性定理(を扱っている論文:ブリンキピア・マテマティカおよび関連した体系の形式的に決定不能な命題について)の翻訳部と、不完全性定理についての解説の二部構成になっている。とりわけ、解説部はすばらしい出来で文系の人でもすいすい読めるような内容になっている。不完全性定理を歴史的な観点から−ヒルベルトプログラム、数学基礎論論争−説明したり、一方では基礎論を専門にしている人用に、論文の中身を丁寧かつ数学的に説明していたりと、いろんな読者を想定して書かれている良書である。***ということで、自分はその解説部を斜め読みしたので軽くめもしと
■「高度に発達したSFはホラーと見分けがつかない」と言われることはないが、優れたSFはときに恐怖に近い感情を呼び起こす。グレッグ・イーガンの近未来SF『順列都市』もまた、そのような意味で恐ろしい作品だ。 物語の舞台は21世紀半ばの世界で、この時代、すでに記憶や人格というものを情報としてコンピュータに“ダウンロード”できる技術が広まっていた。研究者のポール・ダラムは、みずからの研究のために自分自身の〈コピー〉を作り上げる。物語は、この〈コピー〉のポール・ダラムが、コンピュータの中の世界で目を覚ますところから始まる。〈コピー〉のポール・ダラムは、目を覚ました直後、自分自身の決断の愚かさを強く後悔する。あらかじめ備わっているはずの自殺用プログラムを起動して実行しようと試みるが、その機能は“ダウンロード”のあと、現実世界のオリジナルのポール・ダラムによって消去されていた。死にたくても死ねないからだ
Movie, Photoポニョだー!こんなに気味が悪いヒロインで大丈夫なの!?と物議をかもしているポニョだけども、いやあ面白かった。理屈とかじゃないんだよね。これは千と千尋以降既に表れていた傾向なんだけども、映画を成り立たせている論理的な枠組みをこれまで以上に突き崩し、アニメーションとしての快楽をよりラディカルに追い求めていこうとしている。絵が動いているということの純粋な楽しさをよくもまあここまで突き詰められたなあというか、驚嘆に呑まれてしまった。主人公の宗介のお父さんは船乗りで、なかなか家に帰ってくることができない。宗介のモデルが実子の吾朗であるというのは宮崎駿自身が口にしていることで、宗介がおかれた少し寂しい状況は、事情を知る者から見れば吾朗の幼少期にそのままオーバーラップしてくる。「二度と吾朗みたいな子供を作らないために」宮崎駿は、そんなことをコメントしていたらしい。父親がアニメスタ
アール・ブリュット展行ってきました@松下電工汐留ミュージアムhttp://www.no-ma.jp/artbrut/担当していた漫画家さんからのおすすめ。もともとアウトサイダーアートはわりとチェック入れているのですがその中でも良かったと思える展覧会でした。500円というお値段も魅力的。さてさて。この考え方にはおそらく多くの異論、反論があると思いますが、私は、「美」というものは、対象に内在する論理だと考えています。鑑賞者側と対象物との関係性のうちにあるのではなく、それ「そのもの」のみで考えられるものである、と。わかりやすく言い換えると、この作品(絵画でも、映画でも音楽でもなんでもいいんだけど)は、「私」にとって心地よい、「私」はこれを好き、「私」はこれを嫌い、そういう次元を抜きにして、「美しい」という次元があるのではないか?ということです。そしてそれは、あるべきものがあるべきところに過不足な
kugyoさんが J. O. Urmson "Literature" の訳で少し苦心しておられる箇所について私見を記します.コメント欄に記すにはやや長いのでこちらに記しておいてトラックバックを送ります. 脚注の *4 が付いている箇所の訳: どうやら「モナリザ」は普段ルーブルの壁に掛かっているあれとはちがうらしいということを理解するのにも,哲学的な洗練が必要となる. (It requires philosophical sophistication even to understand the suggestion that the Mona Lisa is not something usually can be found hanging on a wall of the Louvre.) この "suggestion that S" は「示唆」や「提案」ではなくて,「〜であるらしいと
Journey, Nepal, Photoラリトプルで出会った、死にかけの犬。あまりの猛暑に、ネパールの犬々は地面に這い蹲ってハァハァしているのがデフォルトだ。抜け毛のひどいこの犬はことさら弱りきっていて、こちらがシャッターを切るたび、それほど煩くもないシャッターの音に怯えるようにしてビクッビクッと体を震わせていた。 5月22日 シャブルベンシ→カトマンドゥパラリロパラリロ、という暴走族じみたクラクションに叩き起こされ、おかげでランタン最後の朝は爽やかな目覚めだった。この品性の欠片もないクラクションは、カトマンドゥとシャブルベンシを結ぶローカルバスのものだ。バスの屋根に乗り込んだ人たちの影が岩壁や道路に映り込み、ゆれながら起きたり寝そべったりする様子がおもしろいのを眺めながら、寝ぼけ眼でぼんやりとカトマンドゥに向かう。谷間の景色も雄大ですばらしくて、デジカメの電池が切れてしまい写真に残せな
Arthur C. Danto, アーサー・ダントー(アーサー・C・ダント、アーサー・ダントウ) 1924年生まれ。アメリカの分析哲学者。コロンビア大学名誉教授(哲学)。歴史の言説構造を「物語」と捉えた1965年の『歴史の分析哲学』によって英米およびドイツの歴史哲学に大きな影響を与える一方で、アンディ・ウォーホル《ブリロ・ボックス》を論じた1964年の論文「アートワールド」において、芸術が芸術であるのは芸術理論や美術史といったコンテクスト(=アートワールド)による、と主張し、ジョージ・ディッキーの芸術制度論をはじめとしたアメリカ分析美学にも大きな影響を与える。ほかにも、分析哲学の見地からニーチェやサルトルを論じ、知識論や行為論を展開、『ネイション』誌や『アートフォーラム』誌にて芸術批評も積極的におこなう。 Analytical Philosophy of History (Cambridg
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