ところが、当事者でない人間が、イデオロギーや、政治的思惑や、固有の美意識を持ち込んで他人の問題にかかわるようになると、問題は奇妙な形に歪められることになる。 その典型が、カップヌードルのケースだと思う。 あのCMには、被害者も加害者もいない。 当事者間で争っているような問題はひとつも発生していない。 強いてあげるなら、かつて自分の配偶者に婚外交渉を実行された立場である矢口真里さんの元夫が、唯一の被害者といえば被害者に相当するわけだが、その彼の被害は、何年も前に離婚という形で落着している。矢口自身も、既に離婚し、それ以外にも様々な社会的制裁を受けている。 つまり、日清食品のCMに寄せられた「苦情」は、保育園に寄せられた「苦情」とは、まったく性質を異にしているということだ。 保育園に寄せられる苦情は、市川のケースでもほかの町中の保育園のケースでも、現実に物理的なノイズとしての幼児の歓声を毎日聞