他者を、「私の物語」のための素材にすること 浅川と岸本が経験したのは、社会において多くの人が遭遇する、組織や権力といったものの暴力性・理不尽さ、抑圧や忖度の問題である。それを自己批判も含めて描写していくような創作上の挑戦そのものは、とても大切なものだ。 あらゆる意味での差別が蔓延り、個人の意見を表明することへの抑圧にもまみれたこの日本社会では、尚更それは重要である。本作が「民自党」という名称に置き換えて批判しようとしたであろう、政権与党としての自民党による数々の失政に対しても、私も強く批判したい気持ちがある。 しかしそうした点を踏まえても、この物語が持つ、現実に実在した事件=具体的な社会・歴史に対するデリカシーの無さ、そしてそこに起因する「他者」を「食い物」にするような扱い方には、看過できないものがあるように思う。 浅川と岸本はひたすら「見る」ことしかできない。劇中において事件そのものは浅