1)自由に発言する空気を作る まず、編集会議をブレスト形式に変えた。みんなの発言をどんどんホワイトボードに書いて可視化する。押し黙るメンバーには、「間違ってもいい。正解はない。だから思ったことを言ってみて」と促し、自分の意見が即企画に反映される実感を持たせた。 例えば、夏に発売する号の企画会議では、「夏と言えばどんなイメージ?」と問いかけ、どんどんキーワードを出していく。「暑い」「子どもが家にいる」「台風で野菜の値段が高くなる」「ご飯をつくりたくない」など、何でもいい。夏の企画を冬に考えていると、どうしてもリアルな季節感とかけ離れてしまうから、これはリアルな夏の感覚を取り戻すための試みだ。 これまでは、「去年の号はこうだった」と昨年ベースから発想していた。それでは新たな企画は生まれない。去年の踏襲ではなく、リアルな季節感や読者ニーズから企画を発想してもらいたいと思った。キーワードやテーマ、
日本政策学校代表理事の金野索一です。 今回は【官僚制】をテーマに株式会社政策工房社長の原英史氏(大阪市顧問、元経産省)と対談しました。原氏は民主党政権の誤った政治主導で、政権交代時に本来立法すべきであった政治主導のサポート機関(国家戦略局)の立ち上げ・幹部公務員人事制度改革が必要だと語ります。 対談の中で、原氏は「政策という分野は霞が関が独占している状態だった。独占禁止法は政策分野には適用されていない」と主張し、本来立法を担当する議員も、政府案以外に裏づけのある対案を打ち出した政策の議論ができていないと語ります。 大阪市顧問の経験から「いろいろなことが一律に国の法律で決められていて、地方でこっちの仕組みに変えようとしても変えられない」と語り、結局、霞ヶ関の人たちが決めていると主張します。公務員制度改革は役所組織がまともに機能するように変え、各論の改革を進めるためにあると語ります。時の政権に
樋渡 啓祐(ひわたし けいすけ) 1969年佐賀県武雄市朝日町生まれ。東京大学卒業後、93年総務庁人事局に入庁。内閣府参事官補佐などを歴任。総務省を退職後06年に武雄市長選挙に立候補、当選。当時全国最年少市長。2006年(平成18年)、テレビドラマ「佐賀のがばいばあちゃん」のロケを誘致。 2007年(平成19年)、関西大学客員教授に就任。2008年(平成20年)、自治体病院の経営形態を巡る対立から市民グループが市長リコールの方針を固めたことに対し、辞職。出直し選挙で再選を果たした。2010年(平成22年)、武雄市民病院を民間移譲。同年、武雄市長に再選(2期目)。そのほか、東北地方太平洋沖地震の発生に伴い「被災者支援課」を設置。同年、市公式ホームページをFacebookに完全移行するなど、新しい試みを続けている。参考:「フェイスブック 市役所革命」 金野:日本の首長は、圧倒的にシニアな方が多
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