「怒り」は、人類が生き残るための本能だった 柿木さんは、「人間が怒りの感情を持つのは当然のことなのです」と話す。 「怒りという感情は、目の前の敵に対して、襲いかかるか逃げるかをカラダに実行させるために発生するものです。つまり、生存するためには欠かせないものなのです。怒りの発生自体を防ぐことはできません」(柿木さん)。地球の長い歴史のなかで、人間が敵から身を守り、淘汰されずに生き延びるためには、大脳辺縁系に生じる怒りの感情は不可欠なものだったのだ。 ところが文明が発達するにつれ、そうした本能に近い感情を抑えることが必要になりはじめた。現代の私たちの生活においても、「怒りたいことがあっても、仕事で成果を出すためには我慢しよう」「顔を合わせたくない相手だけれど、人間関係でトラブルを起こさないためにも会うしかない」というように、感情をコントロールしなくてはならない状況が増えている。 つまり、私たち
先日、飲み会の席で「…だって世の中、『飛行機がなぜ飛ぶか』ということすら、本当は分かっていないんですから」という声が聞こえてきた。読者の多くの方もきっと、同じ話を耳にしたことがあると思う。 「常識と思っていることは、実は単なる思いこみだ」という文脈か、「科学なんてたいしたことないじゃないか」という話か、そこまでは分からなかったが、声にはちょっと嬉しそうな響きがあった。 もちろん科学は宗教ではない(こちら)。「信じる」ことが基本姿勢の宗教に対して、科学のそれは「疑う」ことだ。リンク先の記事の通り、科学を宗教的なものと誤解しないためにも、「本当はどうなんだ?」と疑う姿勢は大切だ。その一方で、「結局、科学といっても本当は何も分かってないんだよ」という見方は、シニカルな態度にもつながっていきそうでなんとなく違和感がある。 それはさておき、高速で空を飛び、多くの人命を載せる航空機がなぜ飛ぶか、本当に
かつて空間にも時間にもあった意味を、科学が壊した 本川:質量に比例して距離の二乗に反比例した力が働いて――というのは「How=どのようにして」に対する答えであって、「Why=なぜ」に対する答えではありません。「意味」を問うのはなぜの方です。それがない。 科学的自然観が世を席巻するまでは違いました。昔は、すべての空間に意味があったんです。日本でもそうです。こっちの方角には神様がいる、別の方角には別の神様がいる。だから、方違えに忙しかった。ところが、科学がこうした意味をぬぐい去った。空間は意味のない、全部均一のものになってしまいました。 時間もそうです。昔は時間にも意味があった。今日は何代前のばあさんの祥月命日、次はじいさんの祥月、という具合に、毎日毎日に意味があったわけです。 池上 彰(いけがみ・あきら) ジャーナリスト。1950年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。社会部記者と
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