「当事者マウンティング」という現象 「子どものあなたにはわからない」 物心がついたころ、大人にそう言われてもやもやしたことはないだろうか。言い返したいのにうまく言葉にできず言葉を飲んだ経験はないだろうか。 自分が持っていないものを理由に「わかっていない」と言われると黙るしかない。相手がわかって、自分がわからないことの根拠は、自分には持ちえないものの中にあるのだ。返す言葉は無くなってしまう。 当事者の言葉は重要である。経験していなければ、その場にいなければ知りえないことはたくさんある。世界は当事者の言葉が聞かれなかったゆえに起こった悲しい出来事であふれている。 しかし当事者が当事者であることを根拠に「わかる」を主張し、当事者でないことを理由に「わからない」を突き付けるとき、それはマウンティングになる。 ここではそれを「当事者マウンティング」と呼ぼう。 子どものいないあなたに子どものことはわか
暴言を目撃したときの激しい不快感ニュースとなっている国会議員の暴言テープを聴いた人で、衝撃を受けない人はいないはずだ。ただ週刊新潮を見ると、トップ記事扱いではない。ところがニュースやネットでこれだけバズってしまうのを見ると、自分が被害者ではなくても、暴言を吐く人に対して人は強い不快感を持ち、反応してしまうのだと改めて思わされる。 6月21日夜に発生した架線事故の影響で新幹線に長時間すし詰めになった事件でも、ツィッターでは駅員に心ない暴言を浴びせる客の動画が流れてきた。しかも、リツイート数は4桁に上っていた。公衆での暴言は都市部にいると生で目撃する機会も少なくないが、家にいてもネットでこういった不愉快な場面はいやおうなしにも目撃することができてしまう。そしてまた、不快な記憶として長く残ってしまうものである。 たしかに、新幹線の中に数時間も閉じ込められれば、自分の思うようにならない苛立ちを制御
2017/05/22 20:30 90年代にお世話になったご縁があり懐かしく読みました。設楽さんのお名前は珍しさもあり忘れません。思想的背景は今回初めて知りましたが(笑)、真の同胞愛・愛国はそこにも向かう筈で。 私も今で言うブラック企業での退職強要でしたが、最近聞くひどいイジメに比べれば全然牧歌的で可愛いもので、それだけ最近の事例には胸が痛みます。当方の無知に付け込み脅す連中なので、こっちが知識をつければ折れて出る。 当時の板橋?の事務所にお邪魔して無料相談に乗って頂いただけで最後は一人で済ませたのですが、「キミ、自宅待機期間の筈だが、昨日は留守だったじゃないか」「はあ、労働法の専門家に相談に行ってまして~。専門家は私に退職すべき落ち度はないという意見で~、ニヤリ」という会話を経て、「辞表出せ」(退職金なし)を「会社都合」(退職金あり)に譲歩(つか当然)させ手を打ったのが懐しい思い出です。
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