だが、そもそも言いたいことが言えないのだから、コミュニケーションが円滑になるわけもなければ、風通しがよくなるわけもない。報告、連絡、相談もカタチだけとなり、全く機能しない。 必要なのは「言いたいことが言えるチーム」だ。 そのために言葉はある。 言葉は人を傷つけるためにあるのではない。互いにわかり合い、互いを知り、共同体(=職場)で居場所を得て、よりハッピーになるために存在する。 「言いたいことが言えるチーム」が、職場の生産性を向上させることを明らかにしたプロジェクトがある。 Project Aristotle(以下PA)。 アリストテレスといえば、“The whole is greater than the sum of its parts(直訳:全体は部分の総和に勝る).”という格言を残し、共同体の重要性を訴えた先人の1人でもある。 「ひとりで仕事をするより一緒に仕事をした方が能力を発揮
「自分が正しい」にこだわりすぎない心の柔らかさを――『寛容力のコツ』の著者に聞く(第2回) 2017/7/21 柳本操=ライター 怒りにとらわれることは人生の主導権を明け渡すこと 「被害者意識が強い人ほど怒りっぽい」という指摘も、意外でした。怒っている人は、むしろ、誰かに嫌な思いをさせるという点で、加害者なのでは、と思っていたのですが。 下園さん 身に覚えがありませんか。イライラしているときというのは、決まって、「なんで私だけがこんな目に遭わなくちゃいけないの?」「こんなに頑張っているのに!」「自分ばかりが損してない?」という思いが心に渦巻いています。これは、原始人的に考えるとご理解いただけるはずです。 原始人にとって、自分が頑張った労働への成果(食糧の分け前)が期待外れに少ないことや、自分だけが疲労してエネルギーがなくなること(戦闘力の低下)は憂うべきこと。なぜなら命の危機に直結するから
瞑想中にわき起こる思考や感情、体の変化などをそのまま観察して受け流す方法。「今、涼しいと感じているな」「肩にコリを感じているな」など頭に浮かんだ思考・感覚をそのまま映像で見ているかのように客観的に観察するもので、やや上級者向け。判断を加えずフラットに観察するのはなかなか難しいため、頭に浮かんだことを次々と実況中継していくという方法がよくとられるという。 観察瞑想をすると、集中瞑想とのときとは違う、「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」が活性化する。DMNは脳の複数の領域で構成されたネットワークで、過去のさまざまな感情や記憶などをつなぎ合わせるときに重要な役割を果たすと考えられている。そして、何かに集中しているときは活動レベルが低下し、逆に何も考えていない“アイドリング状態”のときに活性化するといわれる。観察瞑想を行うと、このDMNが活性化することで、さまざまな経験や記憶、知識が組み
認知症患者との対話法「バリデーション」、家庭でできる5つのテク 2016/9/28 伊藤左知子=医療ジャーナリスト 2016年9月8日の記事「暴言や徘徊がなくなる!?認知症患者を救う奇跡の対話法『バリデーション』」で紹介し、大きな反響を得た認知症の人との心の通うコミュニケーション法「バリデーション」。認知症が進んでも最後まで失われない機能「感情」に働きかけるとして注目されているこの対話法について、今回は家庭でも行えるテクニックを、関西福祉科学大学社会福祉学科教授の都村尚子さんへの取材を基に紹介する。 バリデーションは感情を表出させる対話法 介護する側はよかれと思って笑顔をキープすることが多いが、自分が悲しんでいるときに笑顔で話しかけられると、認知症の人は「こんなに悲しいのに笑っていて、この人は分かってくれない」と心を開いてくれない場合が多いという。(©PaylessImages 123-r
ウツは夫婦間で伝染する スピルオーバーという現象がある。 スピルオーバー(余剰・余波)とはもともと、電波が目的の地域外まで届く現象を指す言葉だが、心療内科では、職場でのストレスと家庭でのストレスがそれぞれの界面を超えて影響を及ぼす現象に使われている。 また、スピルオーバーは夫婦間でも起こり、夫(妻)のストレスが妻(夫)に伝染し、妻(夫)が専業主婦で献身的なほど「夫のかわりにウツ」になる傾向が強い。 件の彼女は専業主婦ではなかったけど、スピルオーバーが起きていたと十分考えられる。加えて、夫を心配する気持ちと、疲れと、自責の念がグチャグチャに絡み合い、感情が割れるだけ割れ、彼女自身が“ストレスの雨”にびしょ濡れになってしまったのだ。 これまでにも、家族がウツなどのメンタル不全に陥ると、本来、傘になるはずの家族の過大な負担になったり、ウツがうつったりと、ネガティブな影響が指摘されてきた。それでも
「怒り」は、人類が生き残るための本能だった 柿木さんは、「人間が怒りの感情を持つのは当然のことなのです」と話す。 「怒りという感情は、目の前の敵に対して、襲いかかるか逃げるかをカラダに実行させるために発生するものです。つまり、生存するためには欠かせないものなのです。怒りの発生自体を防ぐことはできません」(柿木さん)。地球の長い歴史のなかで、人間が敵から身を守り、淘汰されずに生き延びるためには、大脳辺縁系に生じる怒りの感情は不可欠なものだったのだ。 ところが文明が発達するにつれ、そうした本能に近い感情を抑えることが必要になりはじめた。現代の私たちの生活においても、「怒りたいことがあっても、仕事で成果を出すためには我慢しよう」「顔を合わせたくない相手だけれど、人間関係でトラブルを起こさないためにも会うしかない」というように、感情をコントロールしなくてはならない状況が増えている。 つまり、私たち
「私はうろたえ涙目になった。完全にCA失格だった」 私がCAになって最初に先輩に教わったのは、お客さんのクレーム処理だった。お客さんを楽しませることではない。お客さんの怒りを鎮めるために、いかに自分の感情をコントロールするかを教育されたのだ。 情けない話ではあるが、私は「ビジネスクラスに移動させろ!」と怒り出したエコノミークラスのお客さんに対処することができなかった(よほどの緊急事態でない限り、機内でのアップグレードは禁止されている)。 「俺はANAにいつも乗ってる。アップグレードしてくれ」と言い出し、丁重にお断りしたつもりが、逆鱗に触れた。周りにたくさんのお客様がいる中で、怒鳴られ、愚弄され、……どうすることもできずに、私はうろたえ涙目になった。完全にCA失格だった。 逃げ場のない機内で、いかにお客様の怒りを受け止め、対処できるか。そのスキルがCAには必要なのだ。 就活のためとか、就活に
騒音源である保育所と、騒音の被害を訴える地域住民の、いずれか一方を悪者に仕立てあげて片付けるような立論は、おそらく、問題の解決には貢献しない。 この種の問題は、個々のケースごとに特殊事情をかかえている。問題を解決するためには、現地に行って、それぞれの騒音の実態と地域の人々の関係を仔細かつ丁寧に検討しなければならない。 この際、有害なのは、当事者同士の個別のやりとりとは無縁な、ネット上で議論の行方を眺めている人たちの思惑が問題の方向に影響を与えてしまうことだ。 市川市のケースにも、既に様々な意見が押し寄せているようだ。 それらの「声」が、単に「声」として鳴り響くだけで、じきに風の中に消えて行くのであれば良いのだが、インターネットが普及して以来、この種の、傍観者の声は、簡単には消えない設定になっている。 で、簡単に消えずに、結果として圧力を獲得することになった「声」は、どうかすると、行政を動か
なぜなら、「日本死ね」は、ほぼ「感情的な言葉の羅列」だけで、幼い子供を持つ親が置かれている現状の苦悩を見事に説明し切っているからだ。これは、なかなかできることではない。 「論理」の言葉で説明することは誰にでもできる。 が、感情の言葉で他人を説得することは、文章の上手な人間でないとできない仕事だ。 その意味で、「日本死ね」は、一見、乱雑に並べられた言葉の裏に、非常に高度な技巧が張り巡らされている、巧緻な文章なのである。 もう少し詳しく説明する。 文章は、原則として、論理的なものだ。 書き手と読み手の間に確実に共有されているものは「論理」のほかに何も無い。とすれば、書き手から読み手に情報を運搬するためには、その乗り物として「論理」を利用するほかにどうしようもない。だから、普通に書かれた普通の文章は、余儀なく論理的になる。当たり前の話だ。 その意味からすると、論理的でない文章は、「悪文」というこ
さあ、チンケな優越感に染まらないようにしよう。いかに有名になっても、いかに金回りがよくなっても、チンケな優越感が身を滅ぼす、と思えばいい。 それには、開発の結果は皆の成果であると決めることだ。チンケな優越感とは、人間個々の内に有るもので、企業や組織に有るのではない。あくまで、一人の人間としての感情であり、性癖であるから、個々の優越感を最初から叩いてしまえばいいのである。 だがしかし、開発チームの中に一人でも、そのような人が現れたら要注意だ。もしもそのような人物が現れたら、全力を挙げて、その人のチンケな優越感を押さえ、消去しなければいけないのである。チンケな優越感は、なぜか、ウィルスのように伝染し蔓延するからである。 ところで、お前にチンケな優越感はあるかって? う~ん、正直に言うとある。と言うか、チンケになってしまった(しかも随分昔から)ところがある。 それは、私のてっぺん。頭髪がチンケな
■なぜ人は会社で取り乱してしまうのか 人が職場で取り乱す理由は、個人的なものから仕事上の問題までたくさんある。職場でどれだけ多くの時間を過ごしているかを考えると、人々がときおり職場で感情を抑えられなくなるのは避けがたいことのように思われる。だが、マネジャーは部下の涙にどのように対処すればよいのだろう。 感情的な行動に対しては、それが陽気なものだろうと悲観的なものだろうと、多くのマネジャーが戸惑いを感じる。「人々はプロフェッショナルであろうとし、そのためには自分の感情や周囲の人々の感情を無視する必要があると思っている」。こう語るのは、ミシガン大学ロス・スクール・オブ・ビジネスの経営組織論准教授、ジェフリー・サンチェス・バークスだ。彼の調査によると、この姿勢はアメリカのほとんどの職場で規範とされている。だが、この規範を守れる人はほとんどいない。「われわれは職場の入り口で人間らしさを脱ぎ捨て
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