ふたりは2010年に結婚し、子どもが2人生まれた。どちらも目が見えない状態で子育てをするのは、それはそれは大変なはず、と思いきや......。
障害者だけの問題ではない 障害学(disability studies) ――。 これは、1982年にアーヴィング・ケネス・ゾラたちによってアメリカで創始された学問で、その後イギリスでもマイケル・オリバーを中心として大きく発展し、日本では2000年代に入ってから、徐々に広められている。 私の専門の健康社会学は、個人と環境の関わりにスポットをあて、健康(単に病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態)について考える学問だが、障害学も同じように社会モデルに基づく。 つまり、障害学とは、従来の医療モデルが「障害そのもの」にスポットを当てるのとは異なり、「障害を生み出す社会について考える」学問である。 先日、日本における障害学の第一人者である、東京大学先端科学技術センターの福島 智教授のお話を聞く機会があった(教授は、3歳で
「感動ポルノ」という刃 これは、ステラさんが、2014年6月に、Ted ×シドニー(プレゼンテーションをテーマにしたカンファレンス)において、「I’m not your inspiration, thank you very much(私はみなさんの感動の対象ではありません。どうぞよろしく)」というタイトルの講演の中で、話したこと。 彼女は世間で流布されている「感動的な障害者」のポスターやエピソードの事例を示し、「感動ポルノ(inspiration porn)」という言葉で社会における“障害者の役目”を説いた。 ・“ポルノ”という言葉を使うのは、ある特定のグループに属する人々を、他のグループの人々の利益のためにモノ扱いしているから。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしている。 ・健常者が良い気分になれるように、障害者をネガティブな存在としてモノ扱いする。自分の抱えている問題が大し
障害者雇用が進む陰で 2013年4月に「障害者雇用率制度」改正され、従業員数50人以上の民間企業では2.0%以上の割合での障害者雇用が義務付けされたことで、民間企業で働く障害者は12年連続で過去最高を更新している(達成企業47.2%:2015年6月1日時点)。 2015年時点で前年より5.1%多い約45万3000人。精神障害者は25.0%増(約3万5000人)、知的障害者は8.4%増(約9万8000人)で、身体障害者の2.4%増(約32万1000人)より伸びが大きい。 そういった状況下で、むごい扱いを受けている障害者数が過去最高を記録したのだ。 「おまえがいなくなれば楽になる」といった暴言は、決して例外的な事例ではない。 「義務だから雇っているだけ」 「何もしなくていいよ」 「トイレ掃除くらいできるだろ?」 「いいな~。来るだけでおカネもらえるんだからな」 などと、上司や同僚から心ない言葉
曽野綾子さんは、『私の危険な本音』(青志社)という本を出版していることでも分かる通り、「本音」を売り物にしている発言者だ。 だから、反発する人もいるし、アタマから嫌っている人もたくさんいるわけなのだが、その一方で、「お花畑の偽善者が言えずにいる冷徹な本音を正面切って言う、勇気ある直言者」として、人気を博してもいる。だからこそ、彼女は、『人間にとって成熟とは何か』というベストセラーを出している。 なんというのか、彼女の言う、「社会に役立たなくなった老人は、ドクターヘリを利用すべきではない」であったり、「女性社員は子供が生まれたら会社をお辞めなさい」といった「残酷」な本音には、一定の強固な需要があるということだ。 その需要は、どんなところからやってくるのだろうか。 思うに、彼女の「本音」を称揚する人々は、彼女が残酷なことを言うのは、「彼女が残酷な人間だからだ」とは考えていない。曽野綾子さんの読
「合理的配慮」の真の意味 さて、そんなALS患者の代表として出席した岡部さんの「内なる声」は、私たちの問題にも通じるとても貴重なものだった。 ところが残念なことに多くのメディアは、「参議院の委員会に出席した」という事実と、「障害者や難病患者への合理的配慮に取り組んでほしい」と、岡部さんが訴えたことだけを伝え、深く論じることはなかった。 与野党のすったもんだを「差別だ!」と糾弾する以上に、岡部さんが「何を語ったのか?」を知ることが大切なのに、もったいない話だ。 そもそも、「合理的配慮」という言葉の意味を、どこまでわかっているのだろうか。 「合理的配慮(=reasonable accommodation)」は、障害者だけではなく、LGBT 、女性活用、介護離職、ガン患者など、「今おこっている」さまざまな問題を考える上で極めて重要な概念である。 一見、「わかったつもり」になりやすい言葉だけに、こ
「体が不自由だとか、年寄りだからという理由でここに座りなさいって書かれてあっても、誰がそんなとこに座りたいか。この国には幸いにも、年寄りや体の不自由な人に手を差し伸べる文化がある」 って。 日本の社会というのは、体に不自由な人が、誰の手も借りないで椅子に座れるのが便利だって思ってるけど、それって冷たいんじゃないか。何が優しさだろうって思う。いろんな人と社会の中で一緒にいるってことは、難しいですね。ほんとに難しいですよ。誰の手も借りないってことは、誰も助けませんよっていう意味じゃないですかね。 * 次男が生まれるまでの稲川氏は、それまで障害者との出会いがなかったという。あったかもしれないが、意識にとどめることはなかったのだろう。私が取材した障害者は、福祉制度がいまほどない30年以上も前、介助者を自力で集めて自立を果たした人たちだった。 私には子供はいないが、もし障害児が生まれ、にっちもさっち
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