健全な民主社会を維持するために、権力を監視し批判するのは大事なことです。しかしその一方で、批判だけしていても社会は良くなりません。朝日新聞の立ち位置が難しいのは、権力を批判しなくては許してくれない読者層を抱えていることでしょう。 経済学者で学習院大学教授の鈴木亘さんは、橋下徹・大阪市長のもとで特別顧問を務め、日本最大のドヤ街を抱える「あいりん地区」の地域再生構想を、住民たちと膝詰めでつくり上げました(『経済学者 日本の最貧困地域に挑む』)。その後、小池百合子都知事に請われて東京都顧問に就任し、待機児童の削減に取り組んで一定の成果を上げています(『経済学者、待機児童ゼロに挑む』)。 こうした社会改革は、権力の懐に飛び込んで、カリスマ的な首長と直談判できるような立場でなければ実現できません。「橋下と手を組むなんて何ごとだ」「小池とベッタリ」などと批判するだけでは、「あいりん地区」の貧困問題も東
揃いのジャンパーを着た職員たちは、自分たちが担当する福祉の対象である人々全員の目に入るカタチで、「不正受給」を攻撃するジャンパーをあつらえていた。 私の目には彼らの態度は、スタンフォードの監獄実験が示唆していた通りのものに見える。 すなわち、他人の生殺与奪の権を持たされた人間は、相手に対して嗜虐的にふるまうようになるということの典型的な実例を、彼らは体現していたわけだ。彼らは、自分たちが握っている権益をチラつかせて、支配下にある人間をなぶることを楽しんでいた。 で、NHKは、その彼らの態度を正面から批判する文脈を避けた見出しをつけた。 私の目にはそのように見える。 ついでに言えばだが、より詳しいソースを見に行けばわかる通り、職員が作ったジャンパーにプリントされていた文字は、「不正受給を許さない」といったようななまやさしい文言ではない。 以下、ジャンパーに刺繍されていた文字を逐語訳してみる。
“塀の中”のご飯は…本当に美味しかった! そもそも「自立」の反対は「依存」ではない。社会的動物である人は、依存できる相手がいるからこそ、自立できる。「依存」の先に自立は存在する。 信頼できる他者との出会いで、踏ん張る力が引き出される。 手を差し伸べてくれる人がいるからこそ、困難を乗り越える強さが磨かれる。 悲しみや困難を分かち合ってくれる他者がいるからこそ、未来に光りが灯る。 なのに、自立できている人たちには、そのことに気付かない。だから、「依存する人、自立できない人=弱い人」と決めつけ、「やっぱりダメな人」と排除する。 そして、似たような状況は、塀の外の私たちの周りにもたくさんあるように思う。 たとえば、会社で失敗をする。 「おまえが悪い。何をやってるんだ!」と上司から徹底的に批判され、たった一回失敗しただけで、「できないヤツ」とレッテルがはられ、生きづらくなる。 たとえば、病気になる。
対策2:「正の注目」で非建設的行動を減らす 上記をしっかりと行った後に、もう一歩できることがあるとすれば、C主任に対する「正の注目」が有効だろう。負の注目とは、できていないところに注目を与えること。まさにこれまで「やってはいけない」と指摘してきた、評論や批判に立ち向かうことが「負の注目」となる。そうではなく「正の注目」をするのだ。 具体的には、彼が評論や批判をせずにポジティブな発言をした時に、それに対して「正の注目」を与える。 「あ、それいいですね!」「いやぁ、助かるなぁ」「私もそう思いますよ!」。こんな風に正の注目を与えることで、彼のごくわずかしかない建設的な行動が少しずつ増えていくだろう。注目された行動が増えるのは、非建設的な行動だけではない。建設的な行動ももちろん増えていくからだ。 さらに、この正の注目は、相手の勇気を増やす勇気づけとなる。アドラー心理学において、勇気とは「困難を克服
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