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日本人と熱に関するquelo4のブックマーク (1)

  • 夢はひとりで見るものだ

    むしろ、森さんのささいな間違いをあげつらって騒ぎ立てているオダジマの狭量と生意気を問題視する人間の方が多数派であるかもしれない。 「森会長の国を思うからこその勇み足を、どうして笑って見過ごすことができないのだろうか」 「勘違いだったのだとしても、オレは森さんの志を感じて胸が熱くなった」 「選手だって熱い心意気を感じたはずだ」 「というよりも、空気を読み違えたのは、国歌を斉唱でなく独唱の設定にした式典の企画者だと思うぞ」 「だよな。選手団が声を揃えて国歌を歌うのでなかったら、壮行会の意義なんて無いようなものだ」 てな調子の人々は、たぶん、私が考えているよりずっと多いはずで、その彼らは、オリンピックを国民ならびに国家がひとつになるための壮大な「夢」なのだというふうに考えている。 実際、「夢」という言葉を、集合名詞としてとらえている日人は決して少なくない。 そう思う人がそう思うことを止めること

    夢はひとりで見るものだ
    quelo4
    quelo4 2016/07/19
    なぜなら、ここでは「夢」を見る主体が「ニッポン」という国になっているからだ。私には、国が見る夢というビジョンは受けいれがたい。ついていけない。もちろん、国そのものは夢を見たりしない
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