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死と小田嶋隆に関するquelo4のブックマーク (2)

  • ミサイルと銅像の夏休み

    一部に、「軍事作戦としての特攻の評価がどうだということは別にして、特攻による死を無駄死にと呼ぶことは、死者を冒涜する意味で賛成できない」という意見があることは承知している。 しかし、特攻による死を無駄死にと評価している人々は、「死者」そのものを侮辱しているわけではない。 特攻で死んでいった若者の人生を否定しているのでもない。 私自身も、特攻に従事して亡くなった兵隊の死は、無駄死にだったと考えている者だが、その私が「無駄」だったと言っているのは「死」であって、彼らの「命」ではない。 理屈をもてあそんでいるように見えるかもしれないが、大切なところなので続ける。 死者の尊厳を守ることと死者を賛美することは違う。 ある状況における死を無駄死にと呼ぶことと、それによって亡くなった死者を冒涜することも同じではない。 であるから、特攻に対して「無駄死に」という言葉を使うことを、そのまま「死者への冒涜」に

    ミサイルと銅像の夏休み
    quelo4
    quelo4 2017/08/29
    特攻に「無駄死に」を使うことを死者への冒涜にすり替える議論には注意。それは生き残った側の人間が決して辱めてはいけない存在である死者を盾として利用しているから。死が尊い話は簡単に生は尊くない話に転じる
  • スッキリ!する話に潜む毒 (5ページ目):日経ビジネスオンライン

    小田嶋 隆 コラムニスト 1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、品メーカーに入社。1年ほどで退社後、紆余曲折を経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。 この著者の記事を見る

    スッキリ!する話に潜む毒 (5ページ目):日経ビジネスオンライン
    quelo4
    quelo4 2012/09/02
    きれいに落ちる結末ばかりを評価する態度は良くない。それは、死を美化する風潮と同質の欺瞞を含んでいる。生き続ける人間は、中途半端を恐れてはならない。切れ味悪く終わるからこそ次がある。
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