「物語の過剰」で拡散されるフェイクニュース ノンフィクションと対立概念ではない偽ニュースは、ファクトか否かの問題ではない 武田徹 評論家 9月29日に財団法人大宅壮一文庫の主催によりシンポジウム「フェイクニュース時代のノンフィクション」が開催された。 司会は大宅文庫理事長にしてベテランジャーナリストの大宅映子、シンポジストとしてジャーナリストの森健、津田大介、そして私が参加した。ここではシンポジウムで言葉足らずだった部分を補いつつ、そこで語ろうとした内容を再現してみる。 「物語の過剰」という視点 フェイクニュースとノンフィクションは対立概念ではない、というのがこの議論に臨む私の立脚点だ。そのココロはと言えばどちらも「物語の過剰」という共通点がある。 ノンフィクションとは本来、フィクション(小説)ではない書籍の全てをさす出版流通用語であったが、たとえば大宅壮一ノンフィクション賞を獲得してきた