フーコーから社員の「支配」を考える たまにある個人的なブームとして、「仕事に関係のなさそうな本を読む」ということがあります。先日もその波がやってきて、 『現代思想のパフォーマンス』 という書籍を手に取りました。“現代思想をツールとして使いこなす技法を実演する”という本書。ふと手が止まったのはミッシェル・フーコーを解説する章でした。そこには「見るー見られる」と「支配ー服従」について書かれていました。 ある教師が壇上から、学生の試験監督をしている。学生たちは、ずっと教師が見ていると思っているので、そう簡単にはカンニングできない。やがて教師は、学生たちがちゃんと受験していることをたしかめると、こっそり教室の後ろから退出する。しかし学生たちは、そうとは知らないので、そのまま静かに受験を続ける。 ここからわかるとおり、学生たちをまじめに受験させるには、かならずしも監督者はいらない。このケースでも、ベ
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