タグ

日経ビジネスと小田嶋隆に関するquelo4のブックマーク (4)

  • 戦争を宣伝ツールに使う残念な人たち

    懸念している事態が懸念した通りに展開するケースは、実は、滅多にない。 多くの場合、われわれの懸念は、空振りに終わる。だからこそ、世界はまわり続けている。 別の言い方をすれば、私たちは、状況がこれ以上悪化することを恐れて、自分たちの内心に、あらかじめ最悪の事態を思い描いているのかもしれない。 もちろん、不安が危機を防ぐ保証はない。 逆に、不安の感情が、必ず不幸を呼び寄せると決まっているものでもない。私たちが心の中にどんな近未来を想定しているのであれ、すべての出来事は、起こるべくして起こり、変転するべくして変転していくものなのだろう。 このたびのウクライナ情勢は、年明け以来、私が抱いていた不安をそのまま裏書きするカタチで推移している。このことに、私は、いまだにうまく適応できずにいる。 目の前で繰り広げられているこの悲劇に対して、何か自分にできないのだろうかと考えずにいることは、とてもむずかしい

    戦争を宣伝ツールに使う残念な人たち
    quelo4
    quelo4 2022/04/12
    “緊急事態を利用して、目下の戦争とは直接かかわりのない自説を押し通しにかかる、火事場泥棒みたいな論客が各所に出没している、…戦時下のマッチョな空気に陶酔した人々による、粗雑な言説の蔓延を強く警戒”
  • セレブに寛容すぎる21世紀の日本人

    とある化粧品会社の経営者が、自社のオンラインショップのサイト上で、差別発言を拡散している。 今回は、この話題を「寛容」というキーワードを軸に読み解いてみたいと考えている。 私がこんなことを考えた理由は、先日(←といっても、つい昨日のことだが)、『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』(森あんり著・新潮選書)というを読んで、おおいに刺激を受けているからだ。 ありていに言えば、自分の頭の中で読後感が反響しているうちに、それを記録しておきたいという考えが、稿を書き進めるモチベーションの半分以上を占めている次第だ。 書は、この何年か、私があれこれと思い悩んでいたいくつかの問題に関して、その意味と方向性を照らし出すヒントを提供してくれている。より具体的な言い方をすれば、「寛容と不寛容」という、どこから考え始めても、必ずや隘路に迷い込んでしまうこのやっかいな命題について、思想的な地図に相当

    セレブに寛容すぎる21世紀の日本人
    quelo4
    quelo4 2021/01/14
    “『不寛容論 アメリカが生んだ「共存」の哲学』(森本あんり著・新潮選書)という本を読んで、おおいに刺激を受けているからだ。”
  • 言葉をこん棒として使う人たち

    今回は、当は「炎上」について書きたいと思っている。 しかしながら、まだ気力が戻っていない。 炎上を語るためには、炎上を覚悟しなければならない。 ところが、いまの自分には、炎上を引き受けながら、炎上質をえぐる原稿を書くための精神の準備が整っていない。 こんなふうにして、炎上は、ものを言う人間から気力を奪っていく……と、今回はこの結論だけをお伝えして、別の話題について書くことにする。 ものを書く人間に限らず、スポーツ選手であれミュージシャンであれ、何らかの形で社会に向けて発言する人間は、誰もが炎上のリスクをかかえている。 もっとも、炎上を避けること自体は、そんなにむずかしいタスクではない。 ものの言い方を手加減すればそれで済む。 ただ、私がこの場を借りて強く言っておきたいのは、 「この世界の中には、ものの言い方を手加減した瞬間に価値を喪失してしまうタイプの言論があるのだぞ」 という事実だ

    言葉をこん棒として使う人たち
    quelo4
    quelo4 2020/09/28
    “「三振するくらいなら、はじめから打席に立たなければいいのに」 てなことでは打者はつとまらない”
  • 音楽は政治と分離できるか

    この5日ほど、「音楽政治を持ち込むな」という声が各方面から聞こえてくる。 この話題は、私の知る限り、もう5年ぐらい前からくすぶっていて、時々思い出したようにインターネット上で再燃している。 今回の再炎上は、フジロック(正式には「フジロックフェスティバル」)という1997年以来毎年開催されている野外ロックフェスティバルに、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の代表理事である奥田愛基氏がキャスティングされたことに端を発したものだ。 ツイッター上でも「#音楽政治を持ち込むなよ」というハッシュタグ(特定の話題を #〔ハッシュ記号〕付きの表題でまとめる機能)が登場して、以来、議論が白熱している。 音楽一般や政治全般の話をする前に、このたびのフジロックに津田大介氏と奥田愛基氏が出演する問題に限定して、私の結論を明らかにしておく。 現在、ネット上で展開されている論争は、「音楽とは何か」

    音楽は政治と分離できるか
    quelo4
    quelo4 2016/07/19
    彼らもまた、極めて政治的な主張をしている。「音楽に政治を持ち込むな」というスローガンは、そう言った方が公共性がありそうに聞こえるからそう言ってみているまでのことで、本音はあくまでも「SEALDsひっこめ」
  • 1